新年の抱負は『一生遊んで暮らしたい、という気持ちを強く持つ』。
とかく効率主義、合理主義、業績主義に染まりがちなので、無為を楽しみ、遊びを大事に過ごしたいと思う。
そんなわけで、映画を見て、展覧会に行き、舞台に通い、本を読みたいのだが、最近読んだ『草枕』の冒頭が、まさにわたしがそうする理由だったのでおどろいた。
夏目漱石の射程の長さと、自分も老成してきたものだ、という感慨がある。
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。」
『草枕』夏目漱石 冒頭より
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
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