ときよとまれ

みたもの、きいたものなどのまとめブログです(映画、演劇、展覧会 感想備忘録)

なんにもなれない/ならない女『WANDA』

ひとり広大な採石場(?)を歩くワンダの後ろ姿が、この映画全体を示している。

歩いている人などいない。みんな車に乗っている。

彼女には車はなく、どこへ行くにも誰かに乗せてもらわないといけない。

 

寄る辺なく、自由でもない。

実家に居場所はなく、離婚協議には遅刻し妻にも母にもなりきれない。男性に声をかけられても、置いてけぼりにあう。

なんでもない女がなんでもないままうろうろする。

 

唯一意志的に見えたのは、強盗の片棒を担いで、誉められているところ。自分の運転で、強盗の元に向かうところ。

 

でも、またしても強盗にはなりきれず、またワンダはうろうろしはじめる。

 

なにかになれ、すべきことをせよ、という社会の重みや、観る方の思い込みが、彼女を通じて伝わってくる。

なんにもならなくていい、というのは簡単だが、そういう人はこの世に居場所があるだろうか。

 

 

 

wanda.crepuscule-films.com