ひとり広大な採石場(?)を歩くワンダの後ろ姿が、この映画全体を示している。
歩いている人などいない。みんな車に乗っている。
彼女には車はなく、どこへ行くにも誰かに乗せてもらわないといけない。
寄る辺なく、自由でもない。
実家に居場所はなく、離婚協議には遅刻し妻にも母にもなりきれない。男性に声をかけられても、置いてけぼりにあう。
なんでもない女がなんでもないままうろうろする。
唯一意志的に見えたのは、強盗の片棒を担いで、誉められているところ。自分の運転で、強盗の元に向かうところ。
でも、またしても強盗にはなりきれず、またワンダはうろうろしはじめる。
なにかになれ、すべきことをせよ、という社会の重みや、観る方の思い込みが、彼女を通じて伝わってくる。
なんにもならなくていい、というのは簡単だが、そういう人はこの世に居場所があるだろうか。