最初見たときは、フェミニズム最初の一歩的な内容だな、と思ったが、後からじわじわ、どこをめざしている映画かわかってきたような気がする。
バービーランドでとても幸せに暮らしている一般的なタイプのバービー(マーゴット・ロビー)は、ある日なぞの不調に見舞われる。へんてこバービー(ケイト・マッキノン)のアドバイスを得て、ボーイフレンドのケン(ライアン・ゴスリング)とともに人間の世界を訪れ、自分に影響している人間を探そうとする。
バービーたちは、大統領や医者、弁護士、工事現場の作業員などさまざまな職業について、自分の家や車を持っている。そうして、子どもたちのモデルとなって自己実現を助けていると思っている。
対してケンたちは、バービーのボーイフレンドというだけの存在で、どこで寝るのか、バービーと一緒でないときは何をしているのか、不明な存在だ。
バービーランドでのケンたちは、現実社会の女性たちのように添え物あつかいである。
バービーは現実社会で無遠慮に見られて値踏みされ、卑猥な言葉をかけられ不愉快な思いをするが、ケンは初めて敬意のある言葉をかけられ、男性であるだけで尊重される男社会に魅了される。
そしてバービーより先に帰って、男社会をバービーランドで大流行させてしまうのだ!
ここで面白いのは、これまで大統領や弁護士など威信の高いとされる仕事をしていたバービーたちが、ころっと男社会に適応して、男にかしずくところだ。
作中、「免疫がないから」と表現されていたが、女性にとっても男社会はある意味魅力的で、みずから協力したいと思うものだということだろう。
例えば異性の恋人ができたり、結婚したり、子どもができたりしたとき、男性への従属を選ばされがちで、自分で進んで選んだかのように思ってしまうことはないだろうか。
また、バービーランドの女社会が男社会にそのまま引っくり返ったところで、なんの解決にもならないと示すことは、「女性が男性並みになる社会をめざしている」というようなフェミニズムの誤解をとく意味合いもあるだろう。
バービーは自分の変調の原因だった人間グロリア(アメリカ・フェレーラ)とその娘を連れて激変したバービーランドにもどり、現実社会で男社会の不条理にさらされてきたグロリアの言葉で、バービーたちの洗脳を解いていく。
これは、年若い女性たちに年配の女性がいろいろ教えられることがあると示していると思う。
バービーたちは一計を案じ、ケンたちはケン同士で戦いになるが、やりあううちにダンスになり、自分達の気持ちを歌い上げ、男性同士の連帯を得る。女性をめぐって争っているように見えて、男性同士で絡みたいけど直接はなぜかできないから女性をだしにしているのでは、という視点が見えた。また、男性同士がちゃんと仲よくなることはとても大切という、メッセージもかいまみえる。
そんなこんなで、バービーは人間界で生きることを選び、最後に婦人科にいく。
ここはバービーが人形でなく人になったことを示すとともに、ティーンエイジャーにへの啓蒙、自分の体をケアすること、自己決定をするのは、人間がまず最初にする基本的なことだ、というようなメッセージだろう。
と、こうしてみると、バービーは「もう社会はジェンダー平等で、自分は性差別されたり、したりしない」と思っている人、とくに若い人のことのような気がしてくる。
学校などは一見ジェンダー平等で、若いうちはピンと来ずフェミニズムは時代遅れだったり、他人事のように思われたりしているが、年を重ねるにつれまだまだ社会構造が不平等であることに気づいていくことがあると思う。
そういう人たちに向けて、陥りがちな罠と、そこから先の新たな展望を見せるのがこの映画の狙いなのかもなーと思った。
それぞれのあり方を肯定し、年をとることを美しいと認め、変化をおそれない。
そんなふうにやっていきたいものだ。