下に張り付けてある藤津亮太と谷口監督の対談がおもしろかったので、映画を観に行く。ワンピースには、あまり興味はない。
ドラマやバラエティー動画など、多様多種な映像コンテンツが手元の端末で自分の都合のよいときに、都合のよい速度で見られる今、映画館で見る意味とは何か。
ひとつには映像体験(熱狂や恐怖)の共有。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のような、音楽映画は観る人の熱狂を誘いやすい。本作も前半はほぼウタという絶世の歌い手キャラクターのライブシーンで占められている。とてもよくできた映画だと思う。Adoはいろんな声音で歌っており、声優の声ともそれほど違和感なく接合する。
またストーリーも歌と熱狂の力の怖さを描いていて、聴衆のために救世主をなろうとするウタの暴走をルフィたちは止めようと奔走する。
熱狂されて、すがられて立ち上がったウタが、聴衆から拒絶されるシーンは痛ましい。大衆は移り気で残酷だ。
現実を逃れて幸福な新世界へ逃亡する事は、いろんな物語の中で拒否され続けてきたが、陰謀論や新宗教の隆盛を見ると、まだまだ否定され続けないといけないようだ。
その他気がついたこと。
夢(忘我)の世界に捕らえるときは液に浸けられがち(「マトリックス」「新世紀エヴァンゲリオン」など)、羊水や海のイメージからきているのか?
ひと昔前なら、ウタは歌姫と呼ばれていただろうが、本作では歌い手。日進月歩である。