斉藤(鈴木亮平)とディナーを食べているときの浅川の顔、カルピスのCMでの長澤まさみのように、やや過剰なほど美味しそうにしているように見えた。
岸本(眞栄田郷敦)は、母にこれまで言えなかったことを吐き出し、ひとり真実を探り当て、食欲、性欲、睡眠欲を取り戻す。
浅川は斉藤との関係を取り戻し、部屋に家具が戻る。
どちらもよい生に繋がることだが、身近な人物(彼氏、母)との関係変化は対比的だ。
支配したい、支配されたい、勝つ、負ける、力関係があらゆるところに存在すると、このドラマは描く。
浅川が斉藤にのまれていくのと、ボンボンガールの篠山(華村あすか)が岸本に脅されて従ったあと、「今日の岸本さんよかったです」などというのは相似の関係だと思う。
そして、事件の重要証言者の元妻が、夫の支配(DV)を逃れられたと実感できなければ、証言が嘘であると言い出せなかったこととも、支配関係が根本にある。
個人と個人の間にも、個人と組織の間にも、組織と組織の間にも力関係、支配関係があり、普段無自覚にいる人ほど、「あたりまえ」とその力関係にしたがって行動している。
日常に空気のように満ちている力関係を丁寧に描いた作品はなかなかない。抵抗してみなければ、はっきり見えてこないその力学を見事に描いている。
流れるプールで、みんなと同じに動いていれば、水流は感じない。
でも、一度立ち止まれば、そこが❰流れるプール❱だとはっきりわかる。
そこからさらに、水流や水流のままに流れてくる多くの人がぶつかってくるのに怯まず、源流に遡って行けるか。
そんなドラマだと思った。